受験体験記 - 2014年度 関西医科大学 吉河 崇くん | 私立医学部・歯学部予備校のメルリックス学院

2014年度

関西医科大学

  • 吉河 崇くん
医師である父を追ってドクターを目指す決断をした28歳。
倍率100倍の試験に合格した時、彼に恐れるものは何もなかった。
吉河くんは高校を卒業後、東京の美容専門学校に通って美容師免許を取り、東京で美容師として活動していた。ある年、実家のある福知山市が大規模な洪水被害を受けた。
ライフラインが寸断され満足に医療資源が行き渡らない中、医師である父が地域住民のために活動する姿を見て、自分もドクターになると決めた。28歳の決断であった。
中学高校を通して、勉強に興味がなかった彼にとっては、まさに基礎の基礎からのスタートだった。
最初は勉強の効率が上がらず試行錯誤の日々が続いたが、社会人経験を通じて自分の頭で考えて工夫することが身についていたので、少しずつ自分なりの勉強法を確立していった。
それまで親の負担を考え授業料の安い京都の大手予備校に通っていたが、結果が出なかった。これが最後の年だと決めて東京の医系予備校に通うことにした。 朝は6時に起きて15分ずつ計算練習と漢字の暗記を日課と決め、8時半にはメルリックスに登校していた。 常にどうしたらもっと点数が取れるかを考え、授業を担当する講師とディスカッションを重ねた。小論文も何回も書いては添削指導を受けた。通学時間などの空き時間も有効に活用した。 30歳を過ぎてなお目標に向かってストイックに努力する彼の姿はクラスメートを引っ張った。 全く畑違いの仕事から医学部受験に進路変更して何年も浪人した彼にとって、面接は最後の関門であった。ある医学部の面接でしつこいぐらい経歴について意地悪な質問をされた時、彼の中で何かが吹っ切れた。 医学部受験にありがちな面接マニュアル的な受け答えでは今の自分の考えを表現できないし面接官にも伝わらない。「恰好付けず、自分の言葉で表現し、評価は面接官に委ねる」と考え、その場で実行した。 その後、面接対策担当の先生と一緒に一からやり直した。それからは面接にも堂々と臨むことができ、圧迫面接を受けた医学部も含めてまずは2校から合格通知が届いた。 彼にとって京都から通える関西医科大学はずっと第一志望であった。その年から関西医科大学は定員7名で後期入試を導入した。 既に2校の合格通知を手にしていたにも関わらず、同じように後期入試を目指すクラスメートと試験前日までメルリックスで勉強した。定員7名に1,014名が志願した1次試験に合格した時、彼に恐れるものは何もなかった。 2次試験の小論文と面接が終わって「すべて終わりました。本当にありがとうございました」と予備校の担任に電話してきた彼のもとに、関西医科大学から合格通知が届くのは当然であった。

この卒業生が利用したコース

関西医科大学の合格体験記