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合格体験記一覧

藤田医科大学医学部合格|Dr.コトーにあこがれて長野から名古屋の予備校へ

唐澤幸佑さんは長野県の実家を離れて1浪目は個別指導の予備校に通っていましたが、1次合格はゼロという結果でした。2浪目は受けた8校中7校に1次合格、2次試験を受けた医学部はすべて最終合格して第1志望の藤田医科大学に進学しました。


2浪目に何が変わったのか、メルリックス学院名古屋校での生活について、そして藤田医科大学への思いについて語ってくれました。



その他の合格校
愛知医科大学医学部 / 杏林大学医学部 / 近畿大学医学部1次合格(2次辞退) / 帝京大学医学部1次合格(2次辞退) / 久留米大学医学部1次合格(2次辞退) / 埼玉医科大学医学部1次合格(2次辞退) /


受験情報・対策


目次[非表示]

  1. 1.Dr.コトーにあこがれて長野から名古屋の予備校へ
  2. 2.メンタルの弱い自分を「変じゃない」と言ってくれた
  3. 3.成績の変化
  4. 4.8校受験、7校1次合格、2次試験を受けた3校すべて正規合格
  5. 5.後輩への3つのメッセージ

Dr.コトーにあこがれて長野から名古屋の予備校へ

――まずは医師になろうと思ったきっかけを教えてください。


唐澤:幼稚園の時に『Dr.コトー診療所』というドラマを見て、自分もコトー先生のようになりたいと思ったことがきっかけです。


――小さい頃から医師になりたかったんですね。


唐澤:父が医師だったこともあり、もともと医療に興味がありました。中学3年の時、熱中症で友人が倒れたことがあって、救急車が来るまで先生たちと一緒に友人の介抱をしました。その時に改めて医療現場でこうやって人を助けたい、医師になりたいと思いました。


――1浪目は個別専門の予備校に通っていましたね。


唐澤:実はメルリックスも見学したのですが、なんとなく合わない気がして個別専門の予備校を選びました。でも、残念なことに、そこではいろんなことに「ご縁」がなくて、上手くいかないことでメンタルも弱くなってしまって、結局どこにも1次合格できませんでした。


――2浪目はなぜメルリックス学院名古屋校を選んだのですか。


唐澤:メルリックスには医大生のSS(スタディサポーター)がいますが、その中の1人の方と話をする機会がありました。その時、本当に詳しく中のことを教えてくれて、本音で話してくれました。これなら信頼して勉強できると思って、メルリックスにお世話になることにしました。


メンタルの弱い自分を「変じゃない」と言ってくれた

――メルリックスでの印象に残っているエピソードを教えてください。


唐澤:メルリックスで2浪目のスタートを切りましたが、まず2浪ということにコンプレックスがありました。親に予備校や寮のお金を払ってもらっていることに罪悪感もありました。いろいろと考えて塞ぎ込んでいた時、大阪校の教務主任である伊藤さんが名古屋校に来ていたので、話を聞いてもらいました。


――伊藤さんはとても相談しやすい雰囲気がありますよね。


唐澤:1浪目の予備校で受験勉強の不安を相談したら「そんなことまで気にするなんて普通じゃない」という意味のことを言われました。自分でもメンタルが弱いという自覚があるので、そうなのかなと思っていたのですが、伊藤さんに相談した時に「唐澤くんは変じゃないよ」と言ってもらえて、とても気持ちが楽になりました。


――それで吹っ切れましたか。


唐澤:そうですね。あの時、伊藤さんが言ってくれた言葉は医学部に進学した今も、何かやってみようとする時の行動の原動力になっています。


――唐澤さんは先生方やSSのところに本当によく質問に行っていましたよね。


唐澤:一度、帰りがけの朝倉先生のところに質問に行ったら、思いのほか聞きたいことが多くて閉館時間になってしまったことがありました。先生に「すみません」と謝ったら「受かったらチャラだよ」と冗談めかして言われて、そのことにとても驚いたし、嬉しかったです。


――朝倉先生の優しくて面白い人柄が垣間見えるエピソードですね。


唐澤:それまで、世の中の人というのは報酬の分だけ仕事をして、それ以外は関わらない人が多いと思っていましたし、それがビジネスだと思っていました。でも、メルリックスは朝倉先生や伊藤さんもそうですが、先生やSSの方々に「助けて」と言ったらすぐに話を聞いてくれるし、相談したらすぐに動いてくれるし、そういう人たちが世の中にいるんだ!と思って感動しました。コトー先生のような人が都会にもいるんだなあ、世の中捨てたもんじゃないなあ、と思いました(笑)


――将来のある生徒さんをお預かりしているので、ビジネスという側面だけではやっていけないことも多いですね。それは医師も同じだと思いますが。


唐澤:これまで習った先生の中には、後で問題になるから合否に関する話は明言を避けているなと感じる人もいたのですが、メルリックスの先生やSSの方々はいつも経験から来るアドバイスをはっきり言ってくれて、とてもありがたかったです。もっと授業を取ろうかなと相談した時も「唐澤くんは取らなくて大丈夫だと思う」と言ってくれたり、ビジネスの面を生徒に絶対に見せないのは素直にすごいと思いました。


成績の変化

英語:学力別にクラスが分かれていて、帰国子女の子と同じクラスでした。それまでは英語に少しは自信があったのですが、この1年間はずっと頭を殴られ続けているような気分でしたね。でも、おかげで藤田医科大学の1次試験は納得のいくできでした。


数学:苦手意識があったので、朝テストを欠かさずやっていました。最終的に朝テストを2周半したことで、数学に対してそこまで怖さがなくなりました。SSにも「怖がりをなくしたら勝ち」と言われていたので、とにかくたくさん問題を解きました。


化学:増田先生に「化学の計算問題は比例式だよ」と言われて、その時はわからなかったのですが、自分なりに赤本をやるうちに意味がわかってきました。私立医学部の過去問は全部で120回分(大学×年度)ぐらい解きました。


生物:もともと得意だったので、1浪目に使っていた解説ノートを模写しながら、全体の流れを頭に入れ直していました。2週間に1回ぐらい、大阪校の伊藤さんやSSに見てもらって、模写が単なる「作業」になっていないかをチェックしてもらっていました。模写したページが多すぎると頭に入っていないということなので、そこは自分でも気をつけていました。


8校受験、7校1次合格、2次試験を受けた3校すべて正規合格

――実際の入試では8校受験、7校1次合格、2次試験を受けた3校すべてが正規合格でした。とても上手くいったと言っていいのではないかと思います。


唐澤:受験した中では大阪医科薬科大学の1次試験だけ不合格になってしまって、それは悔しかったんですけど……。入試前に赤本をやっていて、かなり取れるようになっていたので、自分でもいけるかもしれないとは思っていました。でも、メンタルがあまり強い方ではないので、入試が始まるまではやっぱり不安でした。


――上手くいった要因はなんだと思いますか。


唐澤:入試を通じて言えることは、とにかく経験から来る「勘」のようなものが冴えていたと思います。迷った時も、こちらのルートでいけるんじゃないかと解いていくと答が出たり、全体的に手応えがありました。


――第1志望の藤田医科大学の試験も上手くいきましたか。


唐澤:実は藤田医科大学の1次試験は、英語以外は上手くいきませんでした。反省点がたくさんありますし、数学や理科は難しい問題には手をつけていません。


――それでも正規合格でしたね。


唐澤: 2次試験の面接では、とにかく藤田に行きたいということを面接官の先生に笑われるぐらいアピールしました。どの先生もすごく話しやすい雰囲気で、こちらの言いたいことを引き出してくれる雰囲気があったので、思うぞんぶん藤田への愛を語り尽くしました(笑)


――実際に藤田医科大学を第1志望にしていた理由は何だったのですか。


唐澤:まず、自分は救命救急医を目指しているのですが、自分が医学部を受験するタイミングで藤田医科大学がドクターヘリを導入すると知って、運命的なものを感じました。


――愛知県で2機目のドクターヘリとなりますね。


唐澤:また、藤田医科大学の病院運営に感動して、自分自身の価値観と近いと感じたことも志望理由としては大きいです。ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員を開業前の岡崎医療センターで受け入れた時は、いろんな方面から非難もあり、負担もあったと思うのですが、学長の「大学の使命は、国難を救うこと」という言葉で大学が一丸となったことに感動しました。菅前首相が表敬訪問をされた時に「当時はなかなか受け入れてくれる医療機関が見つからなかった」とおっしゃっていて、コロナ初期の大きな不安の中であれだけの決断をするのはやはり並大抵のことではないのだと思いました。自分も将来は「自分の利益を削っても、人のために動きたい」と思っているので、これはもう絶対に藤田医科大学で学びたいと思いました。


――そういったことを面接で話したのですね。


唐澤:まだあります(笑) 藤田医科大学病院は名古屋市と「救急車の搬送先が見つからない場合は、藤田医大に搬送し応急処置を行い、その後もベッド数に余裕のある病院で経過観察を行う協定」を結んでいます。救急のたらい回しが社会問題になる中で、率先して患者を引き受ける組織としての姿勢に感動しました。自分自身も普段から「何か困ったことがあれば自分に話を回してください」というスタンスでいるし、生徒会長を務めていた時もそれは常に意識していました。とにかく今は藤田医科大学で一つでも多くのことを学びたい、そして将来はそこで働きたいという思いが強いです。


――藤田医科大学への愛はよくわかりました(笑)


唐澤:実際に入学してからも、学生のチャレンジ精神をどんどん後押しする雰囲気があると感じます。学生が心の中では「やりたい」と思っていても、なかなか行動に移しにくいところを「結果がどうであれ、とりあえず興味があるものがあるならやってみな、手伝えるところは手伝ってあげるから」と配慮してくれているのはとても素敵だと思います。


後輩への3つのメッセージ

――それでは最後に後輩へのメッセージをお願いします。


唐澤:1つ目は、どこの予備校に行ったとしても、必ず嫌なことはあると思います。自分自身の成績についてや人間関係など、全く嫌なことがない浪人生活というのはあり得ないと思います。だからこそ、予備校の中に信用できる人を1人でもいいから見つけて相談してほしいです。自分はそういう人をメルリックスでたくさん作りました。


――本当にその通りですね。2つ目はなんですか。


唐澤:自分の置かれている環境には必ず意味がある、と考えることです。例えば自分は2浪しましたが、そのことには意味があったと思っています。例えば、藤田医科大学病院にドクターヘリが導入されることが決まったタイミングで医学部に進学したり、物事にはタイミングがあるんだなと思いました。SSの人に「遠回りしたら違う景色が見えることもあるよ」言われたことがありますが、その通りだと思います。


――最後の3つ目を教えてください。


唐澤:自分が医学部を目指す理由を常に見失わないことです。医学部に合格するためだけの勉強をしていると苦しい時に続かないと思うし、それは医学部に入学してからも同じだなと思いました。自分がなぜ医師になりたいのかという原点を常に意識し続けることで、何のために勉強しているかを見失わずに済むと思います。


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